東日本大震災 〜流され寿司・2011〜 vol.4
2021年2月16日(火)テーマ:東日本大震災
■2011年(平成23年)震災の年は
本当にたくさんの方々がそれぞれの想いで被災地へ足を運んでくれた。
芸能界もたくさんの方々が慰問で気仙沼を訪れてくれていた。そんなある日、
演歌の生きるレジェンド【北島三郎氏】が気仙沼入り。
ステージ前は、多くの元気とたくさんの笑顔で溢れていた。
そんな中、ステージ横でなぜかスポーツ新聞記者の方の取材を受けていた僕らは、
自分らの経緯を話していた。宣伝になるし被災地発信にもなるしと。
大政の親方が、顔見知りということで普段よりもフラットな感じだったが、
この新聞記者の方、実は、僕と同じ頭なので妙に親近感が(笑)
スキンヘッドにビーサン・・・、しかも体はなかなかのヘビー級!
この方の空気感、面白さしか伝わってこない♬
そりゃぁ速攻仲良しになりますよ(ピカピカ頭の特権)
■共通認識
いろんな方々と接するということは、いろんなことへつながる機会を頂けるということ。
その為には、自分の感性と感覚はとても重要になってくる。
それはそうと時間は結構あったので、店や家が流された当時の話から、あちこち出張に
出かけている話をなかなかの解像度で記者の方にそれぞれ伝えてみた。
すると記者の方から
『流れ寿司なんですね』と言われ、あー、確かに!
♬包丁1本〜さらしに巻いて〜♬じゃないけどあっち行ったりこっち行ったりと
確かにどこか一箇所に定まってやる絶対数が多い中では、異色な形になるだろう。
実際、何か行動しようとしたら何もしなくていいと言われ悔しい思いもした。
最初からお店を構えてやるスタイルが普通で、そうではない僕らみたいなのは、
特殊な空気感というのは、主観的だが少なからず感じていた。
ただ、自分らもお店を構えていてそれが普通だったその時は気付けなかった。
お店が流され無くなるという普通じゃないことが起こり、一瞬にしてお店が無いことが
普通になったら、今までくすぶっていて、方向性を見出せていなかった何かの感覚が
沸々としてきたのを覚えている。
〜時を戻そう(ぺこぱ風)〜
ここで【流され寿司】に近い【流れ寿司】という言葉を初めてチームで聞いて、
そっか、『俺たちって、人様から見れば流れ寿司なんだ』と感じた時だった。
ここから、気仙沼有志の会を改め、チーム名を考えるモードになってきたような感が
あるが、ちょっと定かではない。この先は、新富マネージャーの記憶も少し借りながら
確認して次のブログへつなげようと思う。