BLOG 大将ブログ

お店の誕生日

2015年11月3日(火)テーマ:お店情報, ブログ

当店、『新富寿し』は、父親の故鈴木建三郎が母親と共に
1976年 昭和51年11月03日に創業。
今年で創業39年を迎える。俺3歳の時。

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新富寿し〜沿革〜

昭和51年11月03日 父 故鈴木建三郎創業
昭和50年代      宴会場開業
昭和63年       父 癌発覚
平成元年        父 満42歳にて死去 以後母親がお店経営
平成10年7月10日  新装開店(魚町→中みなとへ移転)長男継承
平成17年2月     次男帰郷
平成23年3月11日  東日本大震災にて店舗流焼失
平成26年1月24日  東新城地区新店舗にて事業再開
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創業時は、気仙沼市魚町3丁目、現在の
福寿水産様(ふかひれ加工工場)の一角を借りて
お店を営んでいだ。ちなみにその当時は、うちの
寿司屋があり、隣にラーメン屋さん、その隣が鈴木オートさん、
その隣がろばた焼屋さん、その隣がテーラー小野寺さん、
その隣が近江テントさん、その隣が、焼き鳥屋さん、
最後に藤村酒屋さんとなかなかの商店街だった。

また、道路向えにはある意味、鹿折の1番端で一番町に近い
文房具屋さんがあり、その隣には精肉店、その隣に文房具屋さんの
車庫があり、その隣に釣り具屋さん、その隣に新富宴会場、うちの
隣が呉服?屋さん、その隣が、八百屋さん、その隣に1Fが車庫で
2Fピアノ教室があって、その隣がタクシー。となかなかの商店街♬

お店の前はバイパスが出来る前は、
なんと国道45号線と交通量もかなりあり
商店街と共に賑わっていだ。懐かしい♬

当時は、カウンター5席、カウンターの後に小上がり4席、
お店の奥に6畳ほどの小部屋が一室と小さなお店だったが、
お客さんで連日ごった返し、これにプラス出前で凄い忙しかったのを
覚えでいる。バイクで配達する出前のバイトのあんちゃん達も平日がら
最低2〜3人は常時居だね。洗い場のお姉ちゃんも一人。

こせずねー俺ら兄弟は、
お客さんがいる狭い店内を騒いで走り回り、お客さんによく
叱られだり叩がれだり♬かなりのアットホームなお店?だった。
ちなみにこの時代、他人の大人に叩かれるなんてーのは、
うぢら兄弟に限っては至って普通だった。今でも叱ってくれだり
叩いでけだ当時のお客さんや大人の方々には、本当に感謝してます。

そんな状態だったんで、親にカマってもらえなくても上の兄姉がでぎだ
みだいで、あんちゃんやお姉ちゃんが居だんで、寂しいどころか
毎日メッチャ楽しかったっすね。

そして、交通量の多い当時の国道45号線を渡り
向かえに中古の2階建て一軒家を購入。
一階を宴会場に二階を自宅に。俺、小学1年前後かな・・・。

今のご時世では、絶対?にあり得ない超アットホームな
営業スタイルどいうか宴会場だった。
宴会場の広さは、普通に座って30人位だったかな。
料理はお店で作って、夕方の交通量の多い道路を渡り
宴会場へ運ぶ。もちろん、宴会人数が多い時は、
お店ど宴会場を何往復もする。

小学生の俺は、宴会場6畳弱の厨房?で留守番。
飲みものは最初に出してしまうが、追加の場合は、
小学生の俺にお客さんが注文する!が、申告させるだけさせて
宴会場へ持っていくのは、もちろんお客さん。
熱燗の注文時は、さすがに徳利に入れで温める!
までは俺の仕事で、やはり持っていくのはお客さん。
ある意味、凄い接客応対・・・、
今なら完璧無理っしょ!!

・・・???

今のご時世だからこそ逆に行げだりして♬
この接客♬

こせずねーTHE昭和の小学生の俺が、じっとして留守番なんて
と疑問に思っているのでは??もちろんです。
じっと留守番なんてする訳なんてあり得ないんです!!!
んでもちゃんと???留守番をしてだのは、TVを独占でぎる
がらなんです。今思うどTVに釣られで上手く使われでだんだね。

この当時のTVは、茶の間に一台、リビングダイニングに一台と
いうのが一般的だったかなと。
なので、TVの権利は常に親父の時代劇、夜はナイターどいう
定番の構図。

お客さんが、どうしても対応が小学生では、どいう時は、
ピンクの公衆電話がらお店に俺が電話する、
『お客さんが用事あるみだいだよ』と。
そして、母親登場でオーダーを受ける。今だとウケるシステムだ(笑)
追加注文にしても何にしてもR45を渡って来ないどいけないし、
お店はお店で忙しいので、この後、親も学習・・・?

俺らに留守番させつつもオーダーの際は、
ピンクの公衆電話の横にピンクの公衆電話がら10円玉を出し
『御用の御方は、こちらに電話下さい』システムを考案。
今振り返るとホント凄い飲食店だね。

そういえば、中学生になって色っ気ついで、自分の部屋に
電話欲しがった。もちろん携帯の無い時代。
新しい電話の権利なんて無理だし、中学生の俺には元々発想すらない。
そこで考えだのが、このお客さんがいる時以外使わないピンクの
公衆電話。しかも頭悪いくせに悪知恵だげは働くお年頃♬
仮に電話代の請求が高額になっても親には、
『お客さんが長電話してたみたいだよ!』という事にでぎるので
まさに一石二鳥!
笑顔でお店のお手伝い♬お金を貯めで電話延長線を購入。
電話機買う時なんて、マジで興奮したね。
保留音、色、形、イメージがドンドン膨らんで買う前がら楽しかった!
っつーが、この年になった今でもあんな興奮して楽しい買い物をする気持ち
を超える買い物は無いね!今のところあの電話の買い物がダントツの1位♬

買った後も試練は続き、部屋で電話するどいう俺のアメリカンドリームには
時間を要した。
延長する電話線をバレずにどこに這わせるかメッチャ考えだなぁ。
これが一番の難関だったね!

そんなお店も俺も?忙しい中、昭和63年に親父の癌が発覚!
一年闘病の末、平成元年1月27日に死去。
俺、15歳。

〜中略〜

高校卒業後、東京へと修行に出る。
この時、時間に余裕がない状況だった。

実は、大家さんの福寿水産さんの工場が老朽化で
工場を新築するという事。
俺が修行がらもどってくるまで待って頂いだ。
御迷惑おかけしました。

平成9年、家業を継ぐため気仙沼に戻った若造の俺。
一年の準備期間を経て、
平成10年7月10日、両親の友人の方々、長年新富を愛して
下さってるお客さん方々の御協力を頂き、無事新装オープン。

これが、なかなか順風満帆どはいかないスタートでしたが・・・。
まぁそれも今思えば人生の肥やし。

その後、人並みにいろいろあったけんとね。
それでもいろいろもがきながら過ごした新店舗での13年。

そして・・・
2011年 平成23年3月11日 14:46
東日本大震災 地震発生

つづく


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