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2018年6月10日(日)テーマ:ブログ
常識は変化する。
お前は誰だ!
と自分にツッコミ入れたくなるような冒頭の言葉から始まる本ブログ。
ただの独り言。
最近、ニュース見てても何か多いような気がするこの手のニュース。
某プロゴルファーの接客問題や某飲食店でのオーダーするしないの
問題等。
この手の問題で問題なのは、法律やルール以外のエリアでの
決め事が可視化されていないということ。
今までは、わざわざ公言しなくても表記しなくても
一般常識という暗黙共通ルールがあり日本人の美徳として
成り立っていた社会があったと思う。
多分、良くも悪くもそういう慣習がマジョリティーで形成されれば
それが常識となる。
例えば挨拶。
自分が小中高時代、大人の方には、自分が知らなくても
挨拶はしないといけない時代で、それが常識だった。
何かすれば、見知らぬ大人にゲンコツされたりもあった。
(もちろん悪ガキだったので(笑))
今は、知らない人には挨拶してはいけない。というか、
知らない人には、危険なので挨拶しちゃいけない時代。
これが常識になってる時代?
この挨拶の常識って、法律でもルールでもなく上記の
マジョリティーの慣習からくる常識というのが、自分の認識。
自分の小学生時代と今の小学生時代、挨拶一つとっても
これだけ違う常識になっている。
なので、
『可愛い子には、旅をさせろ』なんて、サツ人レベル(泣)
もう死語っすね。
例えばあだ名。
同級生同士、あだ名(無い人もいるが)で呼び合う
ということに何の制限もなく、それが『普通』の時代。
今は、いろんな角度からの視点であだ名で呼び合うのは禁止とか。
理由を探ると確かに一理ある。
親しみを込めて呼び合う愛称のあだ名もあれば、
そうでない意図のオシャレなあだ名もある訳で。
多くの人があだ名は、友人(同級生)が
呼びやすいように勝手に決めるものという認識が少なからず
あったと思う。そして何となく受け入れる的なナゾの空気感も漂う。
自分は、『マサカズ』。なので?『まさかっつぁん』。
小学生なのに時代劇の『おとっつぁ〜〜ん』みたいなあだ名を
誰かにつけられ、見事に継続中(爆死)
なんか、脱線気味・・・かな・・・。
戻そう。
インターネットの最大の魅力の一つに可視化がある。
自分の見解では、インターネットが一般的に始まった当初から
可視化という感覚が受け入れられた訳ではなく、慣れや熟練度、
世間様の認知等、様々な要因がグラデーションされ今がある。
今の可視化という感覚は、可視化できるという一定の感覚から
全てにおいて可視化されていくのが当たり前の感覚に突入。
つまり、この感覚がネット以外の世界でのシチュエーションへ
適用されつつある。
なんか分かり辛いな・・・
要は、個の時代なので一般常識も感覚も細分化され
今までの一般常識は崩壊レベルへシフトする。
つまりルールだろうがマナーだろうが、表記されていないものに
関しては、『個がルール』になるという何とも言えない時代に
突入した感覚を覚える。
良いとか悪いとかという感覚ではなく。
正解とか不正解でもない。
昔は、こうだった! は、残念ながら通用しない時代なのかな(笑)
全て表記(可視化)しなければいけない時代がくるのだろうか???
道徳感(モラル)、一般常識、という可視化されなくても大切に
されていることは、もう通用しない時代しか来ないのだろうか。
自分は、インターネットが一般化されていない時代に教育を受けた
中年世代。当たり前だが自分の場合、
全てにおいてアップデートが必要と感じている(泣泣)
口だけでやらないのも自分なら、即行動に移すのも自分。
どちらも自由で自分次第。
どうせやるなら楽しくいこう♬