旧白州邸 武相荘
2016年2月5日(金)テーマ:出張・ケータリング
この度、白州次郎様・正子様旧邸である
『武相荘(ぶあいそう)』様にて
気仙沼のイベントを開催して頂ける事になりました。
※武相荘様HPはコチラから
『気仙沼物産展と気仙沼のお寿司を食べる会』
※詳細はコチラから
大変、名誉な御招きに今から緊張しております。
この気仙沼物産展と気仙沼のお寿司を食べる会の
お寿司の部分で新富寿しどして握らせて頂きます。
ご丁寧に武相荘HPにて紹介までして頂いでます。
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白州次郎氏(1902〜1985)
・占領下の日本で政治家・首相吉田茂氏の側近どして
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と渡り合い、
「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた方。
・日本国憲法の草案作成にかかわった方。
・米軍の高官に向かって「あなたの英語は下手だ」と言って
のけた方。 夫婦のあいだの会話を英語でやっていた方。
・白洲次郎氏は英国仕込み、白洲正子氏(1910〜1998)は米国仕込み。
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戦争に負けたこの時代にGHQど渡り合い
従順ならざる唯一の日本人って言わせる程対等に
ものを言うって、凄い!!!の一言。
・・・、
自分みたいなのが、下手に説明するより、というか、
自分には無理です!上記が限界です。
ググるのが最善です。是非お願いします。
失礼の無いように。そして気仙沼を新富を知って頂き
喜んで頂けるよう頑張ってきます。
変わらない社長
先日、ある気仙沼の社長が来店。
この社長は、一番最初の新富、魚町にあったお店がら
お世話になってる方です。
なので、もう40年近くお世話になってますね。
正直、この社長は凄いんです!
1・仕事を普通にする
2・酒を飲む
3・頑張った奴にはガンガン酒とメシを御馳走する
基本これだけ。
このスタイルで数十年。
そしてまだまだ現役バリバリで、『基本現場!』精神。
そして肝臓も現役バリバリ!!!
寿司屋になって25年。
いろいろ経験してきたけんとこの社長がある意味一番!!
酒は普通に、普通に一升はぺろっと飲む。
そしてここがらが凄いとこ♬
酔った人特有のロレツが回らないどいう事は絶対にない。
フラフラする事も無い!むしろお酒飲んだの???っていう感じです。
『あの〜、お水じゃなくてお酒なんですけど・・・』
そして、明るく会計。
そして次のお店へ!
部下からも慕われ、常に楽しく飲んでる。
仕事の議論もする。時には熱くもなるが、あくまで議論。
以上でも以下でもなく、仕事を円滑にする為のツールが
お酒どいうイメージの社長さんです。
そして、このスタイルで数十年。
ホント凄いっす!
寿司屋のカウンターの最上級は、
こういう素晴らしい社長方々の経験談や大切な事、
そして生き様を一番近くで観れで、
しかもそれを無料で学べる点でしょ!!!
これは、本当に凄い事だと思いますね。
大学では決して教えてくれない事っす♬
先月で、親父が他界して28年。自分は、はな垂れ小僧の15歳でした。
新富には、親父に変わって教えて下さる方々がたくさんいます。
本当に有難い事で感謝しかありません。
そして、未だに『建ちゃん!建ちゃん』と慕われる親父。
羨ましい限りで、自分にとっては偉大な父っすね。
奇跡の一本松
定休日に東京のお客さんの御子息を連れで、今更ながら
高田松原の『奇跡の一本松』を初めで訪れだ。
高田は、何回も通ったりしてだんだけんとなかなか
この一本松までは辿り着けずにいた。
駐車場に車を止め、徒歩10分
天気はもちろん晴れ!だって、晴れ男の休日ですから!
っていうくだりは、嫌われるの承知で書いてます♬
とういう事で、今年もは晴れ男健在☆
ホント久しぶりにこのエリアに足を運んだが、
延々と続く綺麗な砂浜がありそこから見る太平洋は、
最高だった。松の木もこれでもか!っていう位普通に
わっつら生い茂ってだんです・・・
今は、コンクリートしか見えなくなってしまった。
このエリアの住民ではないんで、必要なものなのか、
そうでないのかは分がんねーけんと・・・
『当たり前に海が見える』環境で育ってきた沿岸部育ちの
自分には、ちょっと寂しい風景になってしまったかな。
今日は、『一本松』です!
コンクリートのお話は、またいつか・・・
あれだけあった松が全て流されだのに
よくぞこの一本残ったとホント感心する。
この奇跡の一本松の回りは、日本全国、世界各国の支援を頂き
陸前高田市の鎮魂の場、復興の象徴どして語り継がれでいぐんだべね。
陸前高田市も気仙沼もそして自分も震災遺構をきっかけに
丁寧に語り継ぎ、将来、津波災害死者ゼロ!を目指して
いかねばならない!
各自治体ごとに震災遺構を保存している。
単に観光的なポジションどいう位置づけではなく
この遺構をきっかけに全国、世界へ向け積極的に発信して
『その時、大切なものを失わない』ための
学びの場にしていかないとね。