東日本大震災 〜流され寿司・2011〜
2021年1月28日(木)テーマ:東日本大震災
先日、届けられたレターパックに書かれていた名前
【流され寿司】
寿司屋の名前にしては、少し奇妙?で、少しばかり興味を引く名前のような気がする。
流れ寿司ならまだ理解できる気がするが、流され寿司って。。。
しかもこれが東日本大震災の被災地から来た寿司屋となると奇妙とか興味とかではなくなる。
笑えないどころか、言葉にすることすら気まづい。正直、自分らも気まづかった(笑)
特に2011年は、多くの方々に気まづい思いをさせてしまった。
【流され寿司】とは?
東日本大震災から10年という一つの節目の年にアーカイブとして記録と記憶を
辿りながらブログにしていきたいと思う。
■東日本大震災発生
2011年(平成23年)3月11日 午後2:46
この時は、メカジキのブランド化を進めるため市の職員の方々と10人くらいで
海の市の迎えにあったアンカーコーヒーで会議をしていた。
2Fに上がるとそこには、サンドウィッチマンと気仙沼出身のシンガーソングライター
育美ちゃんこと熊谷育美氏が、県内ローカルtvの撮影をしていた。
飲み物を注文し、早速会議に取り掛かる。
隣の撮影が気になりながらもキャラメルモカが到着。花より団子♬
各々注文した飲み物が行き渡ったところで、僕は早速一口頂く。なかなか気仙沼に
無いスタイルのカフェだったし、2Fには入ったことが無かったので色々と楽しみだった。
一口飲み終え、カップを置いた時だった。
『おっ、地震だ』
『結構大きいね。でもすぐ収まるかな・・・』なんて言葉を誰かが発したが、
揺れはどんどん大きくなるばかり。すぐさま建物の外へ避難する。
外へ出ると海の市の屋根は、ギシギシ音を立てながら波打っている。止めてある車は、
前後に大きく揺れている。地面には、亀裂が入り水が染み出して来た。
やばそうな地震。。。
震度5〜6は、過去2〜3度経験しているがこの日の揺れは、過去のものとは
違うという感覚があった。
誰かが、『これは間違いなく津波くるぞ』
確かにこりゃぁ来るな。
『大分地震大きかったし津波の恐れもあるので、今日は一旦解散して後日改めまして
会議ということで』と市の担当者。僕も一旦お店に戻ることにした。
しかしこの時、楽しみにしていたキャラメルモカをまだ一口しか飲んでないことを
思い出す。たまたま隣にいた大政寿司親方(当時:寿司組合組合長)と話をしながら
2Fに戻り雑談しながらキャラメルモカを飲み干した。
今思うとかなりゾッとする・・・
■大津波発生
街が一瞬で無くなる!という表現をTVの番組で聞いたことはあったが、まさか自分の
目の前でそれが起こるとは。(津波の詳細は皆さんご存知の通りなので割愛します)
自分の街が一瞬で無くなり大津波の凄さにただただ呆然としていた。
助かったぁという感覚は全く無かった。
九死に一生。呆然。家が流れるって。と色んな感情が入り混じりすぎていて逆に無・・・
目の前の光景をただただ見てるだけだった。そんな放心状態から現実の世界へ引き戻す
光景が視界に入って来た・・・
【第18共徳丸(約330t)】
これが入ってきた時には、津波と同じくらいの衝撃を受けた。
のちに瓦礫が寄せられ、道路が顔を出しお店が出てきたときはこんな感じでした。
画像中央は、新富寿しがあった場所。車が止まってる辺りが入り口になる。
車を背に左側がカウンター席、右側が宴会場(座敷席)。
過去記事は、方言を交えてのなかなか楽しくも?読みづらい仕様になっておりますが、
気になる方は頑張って下さい(笑)