東日本大震災から9年目の時間
2020年3月11日(水)テーマ:東日本大震災
東日本大震災から丸9年。
いつも思うが、
誰かに聞かれると
『あっという間の9年でした』という答えになるし、
別な誰かに聞かれると
『まだ9年しか経ってないんですね』ともなる。
どっちも本音でどっちも自分の答え。
ようやく線引きしなくていいと思えるようになった。
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人それぞれ。
無我夢中で頑張ってきた人。立ち止まったままの人。
走ってきた人。歩いてきた人。震災前に戻る人。
人それぞれ。
復旧した人。挑戦した人。諦めた人。違う道を選んだ人。
人それぞれ。
情報をもらう人。掴みに(探しに)行く人。流す人。
■9年という時間は
一口に9年とは言えるけど、全ては伝えきれない時間だと思う。
経験値ですら記憶が薄れ、話てても自信を持って伝えられる部分が
少なくなってきたように感じる9年。これが僕にとっての
9年という今だ。
日常に震災の話題がほとんど無い日常。
時代が経験の無い未知のスピードで変化している。
情報が常に上書きされ、自分では、処理しきれない情報量が
常に舞い込んでくる。
震災は、覚えているし忘れはしない。
ただ、画像や映像で振り返る3・11は、薄れる記憶を鮮明に
するための確認作業感が否めない自分もいたりする。
何が風化で何が風化ではないんだろうと考えるときもある。
もちろん、目の前で起こった光景は、今でも鮮明に覚えているが、
震災の話題が無い日常は、風化か? と考えると風化とは違う気が
するし、風化させないために何でも関連付けてすることが風化を
させないことか?というと、これまた違うようない気もする。
9年とは、そういう時間なんだと思うところがある。
■変化
東日本大震災は、意図せず大きな分岐点となった。
SNSは、今までやらなかった人達にまで急速に拡大していった
イメージがある。かと思えば、
ネットに個人情報を載せるなんて言語道断時代。たった数年で、
誕生日にはネット上でみんなでお祝いメッセージを贈り合う時代。
興味深かったのは、被災地に寄せられる善とされてきた世の
善の常識が言語化され、それが議論の対象となった。
そういうエリアは、どこか勝手にサンクチュアリ化され議論の
対象外という思考しかなかっただけに震災を経験したそれと同じ
くらいの衝撃が僕の中にあった。
当時被災地には、たくさんの支援物資やお見舞いの品々、
莫大の量が送られてきた。
すると、どうしても起こるミスマッチ。
善意で贈られてきたものが、議論の対象になり時には非難の
対象にまでなった。
僕の中では、当時はすごく当たり前と思っていた事だった
だけに最初は、何を言っているのか分からなかった。
しかし、少し掘り下げて、感情論ではないところでしっかり
自分で考えるということをやってみると簡単に腑に落ちた。
過去にも例はあるのだろうが、自分が被災者になったが故に
目についたのか、それとも大震災を機に盛んに行われた議論で
目立っていたからなのか、いずれにせよ東日本大震災という
災害がきっかけで僕は知り得た情報となった。
善は、必ずしも善の形で相手に届くとは限らないということを
学んだ。
■人それぞれ
【てんでんこ】震災後にクローズアップされた言葉の一つ。
三陸地方の方言の一つで、それぞれとか別々にという意味。
先述したように津波等を指す言葉ではないが、津波関連の話を
している場では、【家族や親、子供を迎えに行かず、自分が優先で
避難する】ということが、てんでんこという一言で表現できる言葉。
しかし当たり前だが、てんでんこを成立させるためには、
経験則からくる教え、学び、定期的な確認、これらが大前提に
ある。
今、ある意味世界は、お隣さん時代。
びっくりした気持ち、悲しい気持ち、絶望した気持ち、
支えられて頑張れた気持ち、前向きに頑張れた気持ち、
そして、伝えられる気持ち。
まだまだ色んな人がいて、色んな感情がある。
被災者(経験者)だからこそ伝えられること。
そして、未来のTSUNAMIでは、犠牲者はゼロ!
僕の発信でもそんな未来の一助を目指して。
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静かな読経の中で、皆さんが
青いろうそくを2本灯しました。
1本は、旅立ってしまったいのち、
もう1本は、今ここに生きている私のいのちに。
曹洞宗藤源寺28世住職
佐藤良規氏 FB内より一部抜粋
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〜命灯会〜
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