BLOG 大将ブログ

見えない壁

2018年8月1日(水)テーマ:ブログ

自分は、31歳あたりからだったか、障害者・健常者という
括りに違和感を感じていた。

最初に言っておくが、別に良い人ぶる気もないし、
どっちがどうこうという話ではない。

ただ、感覚的に違和感を感じて、それを抽象的に捉えていたりする
何かに嫌気があり、何も行動しない自分にも腹を立ててはいたが、
自分に何かできる訳でもなくという思考の元、そのうちそれが日常化し、
腹を立てていることすら霞んで普通の生活を送っていた。

今日まで何もしていないし、違和感で止まったまま。
違和感を感じようが、そうでなかろうが、何も行動していなければ
みんな一緒である。おばあちゃんに席譲る譲らない話と一緒!

でもその違和感は、現在でも持ち合わせているし、何かを考える
上で感覚的な部分でプラス的な思考へと導かれている。

じゃぁお前は、何に違和感を持っているんだ!ということだが、

例えば視覚障害。
人は、情報の8割以上(正否は別)を視覚から得ると言われている。
どうしても視力ある人がマジョリティでそこがフィールドになり
基準になるから基準を満たさなければ障害者となる。

しかし視覚を失った分、視覚が普通にある人よりも優れていて、
自分では到達できないであろう感覚を身につけている。

点字が良い例だ。
指先で凸凹は感じれるものの一つ一つが近過ぎて、
点として感じることすらできない。

例えば、聴覚障害。
言葉が使えない分、手話を使える。
音がなくても会話が成立する世界。

これも凄い!!!

会話するのに音がいらないなんて!!!
それが当たり前なら手話できない自分が障害者となる。

音が無くても相手が見えれば、窓越しであっても
離れていても雑踏の中でも『普通』に会話を楽しめる♬
凄いことだ!!

新しい音の届け方という感覚で面白く凄い方がいる。落合氏だ。
彼は、世界で一番コンピューターに近い人間だと思っている。
その方が、ちょっと前に

『耳で聴かない音楽会』を開催した。

すごい感覚だと思うし、まさに魔法使いだ。
これから、こういう方々が未来を創造していくのだろうと思う。

いつも何か学ぼうとしているが、あまりにも情報量が多いので、
上っ面だけでも勉強するのが大変だが、めっちゃ楽しい♬

五体満足でもそうでなくてもそれぞれが持っていて
それぞれが持っていないものがあるので、体全部で感じて
伝われば問題ないから、多分、障害という括りはなくなるだろう。

この『障害』という言葉そのものがちょっとネガティブかな。
個性か???それもちと違うような気がする。
どう表現したら良いのか自分には分からないが・・・

腕や足が、意図しない理由で切断され義手義足を
余儀なくされていた時代。

今でもまだそれが一般的だろう。

でも、世界を見ると違う世界がもう始まってる。

違和感を感じるのだろうか・・・。

自分の腕があることに?

足があることに???

自分の腕や足に違和感を感じるって、凄い感覚だと思う。
事故や病、意図しない出来事からの義手義足ではなく、
五体満足からの、身体のアップグレードという観点からテクノロジーを
駆使した最新のものへシフトするという感覚らしい。

その方々に言わせれば、ピアス等のオシャレという観点だけで
身体に穴を開けたりの方が信じられないとか・・・。

確かに?

確かに!

ただ、

ただ、自分でもアップデートが必要と言っていたが、
合理的とはいえ、流石にここまではできん(泣)

でもでも、こういう感覚が加速していく時代に突入んだろうね。
自分は、やる勇気も必要性も感じていないが、こういうのが
当たり前の時代が来るんだろう。

理解できん!
理解はできないが、自分がやらないというだけで否定はしない。
そして、感覚として落とし込んでおく必要はあると思う。

まぁ理解できないといえば、田舎のちっぽけな寿司屋のおっさんが、
ブログをやって、分からないくせに人様へ向けて恥ずかし気も無く
5Gを口にして、テクノロジーを学び自分に落とし込もうと
勉強している行為も理解できないといえば、し難いかな(泣)

そもそも結構恥ずかしい。。。

マジで結構恥ずかしいが、その先に大事な景色を見ているので
手前の恥ずかしい景色は我慢する必要がある(汗)

ただ、むやみやたらに発信する気はないが、発信する大事さも
知っているので、情報リテラシーを高く持ち努めていきたいと思う。


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